成果主義がもたらす部分最適化

成果主義の弊害についてはいろいろ言われているけれど、各個人やグループでの成果を意識するあまり、会社全体としてのアウトプットが必ずしも最適化されない点も、大きな問題の一つではないかと思う。各個人やグループでは実りある成果を出すことが強く求められるのだ。「全体として考えたら隣の人のやり方を進めるべきだから、私は引っ込みます」なんて言ったら、自分の成果はマイナスになってしまう。

そんな訳で、全体を見渡した上での合理的判断なんかそっちのけで、とにかく自分の成果を主張することが重要になる。例えば、開発の現場ではこんな感じ:

  • 開発作業の乱立
    開発者は自分のやり方だけを進めるので、無駄な作業や効果の無い開発が進んでしまう。隣の部署で似たような開発を進めていても、「隣の部署の案件はうちとは無関係」と言って勝手な開発を次々と進めてしまう。
  • 新規案件の乱立
    新規案件を持ち込んだ営業さんは、自分の成果のためにどんな些細な内容でも「これが我が社にとって重要」と主張する。その結果、決して重要ではない案件や、赤字を垂れ流す案件が次々と生まれる。
  • 自己主張の乱立
    私はあれに挑戦しました、これに挑んでいます、と自己主張のオンパレードになる。縁の下の力持ちなど損な役回りだと認識されるので、どんな些末なことで「自分の成果」としてアピールする人だらけになる。

末端の開発者が「ムダだ」と思っている作業が、なぜ延々と続くのか理解に苦しむ。全体最適化の視点から見れば、無駄な作業は即刻中止すべきだし、重複している作業に関わる人員の適正な再配置が必要だろう。上に立つ人はこの程度の調整すら出来ないのかと思うと情けなくなってくる。

ムダをコントロールできるのは、全体を見渡すことが出来て、しかも成果主義のしがらみに関わらないで済む人だけだと思うけど、当然のことながら現実にはそんな人は少ないし、出世街道の本道から外れてしまっていることも多い。全体最適化を実現できない組織になってしまったのは、成果主義の導入と無関係ではあり得ないと思っている。