自分さえ良ければ良いのか?

ソフトウェア開発の現場では、不思議なことに互いに助け合わないことが多い。例えば、隣の作業が遅延しているならヘルプに回る、必要な知識が不足しているのなら勉強会を開く、自分のノウハウを出してグループ内で情報共有を図る、なんて言う前向きな姿勢が無く、「他人のことなんか知らんもんね」と他人モードで仕事をする開発者が珍しくない。

もちろん、チームに入ってきてばかりで周囲の状況が分からないのならそんな建設的な指摘は無理かも知れないけど、入社10年にもなろうかというベテランがそんな冷めた態度を取るのはどうかと思う。上手く行っていない状況を冷ややかな視線で見下すのは開発者として「一緒に仕事をしたくないタイプ」だし、隣のチームが火を噴いている状態を黙って見過ごすのはソフトウェア開発のプロとしてどうかと思う。

知り合いとそんな話をしていたら「それは成果主義のためではないか?」と言われたことがある。自分の貴重な知識を他人に差し出すなんて「勿体ない」のでは無いかということだ。一昔前は組織や部門の壁が問題だと言われていたように思うけど、今ではその壁が個人レベルにまで降りてきているらしい。本人に理由を聞いたことはないけれど、自分の成果を他人に手渡したくないというのが本当の理由なら悲しいことだし、チームでの開発作業なんて出来なくなってしまう。

打算的な人と共に仕事をしても不愉快なことが多いし、実りある成果を生み出せないことも多い。損得勘定を無視して開発チームのために貢献してくれる人の方がずっと有りがたい。むしろ周囲の尊敬を得られるのはそんな人の方だったりするし、長期的な視点で見れば決して損はしていないはずだ。本人の資質にもよると思うけど、あまりに自分の都合を優先させる計算高い人は周りから好ましく思われないようだ。

まるで他人事?
たとえば、高度なJavaプログラミングを含んだある開発案件で、プロジェクトが大幅に停滞していた。その理由をチームメンバーの一人に聞くと彼はこう答えた。
 「チームのプログラミング技術の習熟度が低いからです」
まるで他人事のように達観していたという。

「気の利く技術者」の条件 (1/3) - ITmedia エンタープライズ



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