仕事のやり方を学ぶとき

その昔、ある偉い人が会議に出席する時に必ず若手の人を連れてきていることに気がついた。他にそのような若い人を連れてきている人はいないし、特に発言もしていないから会議に来る必然性は無いはずだ。国会での大臣の答弁の如く、偉い人の補佐をしているのだろうか?自分の席に帰しておけば少しは仕事が進むはずなのに、その時間を取って自分のために使わせるとはなかなか贅沢な人の使い方だ。

そんな光景を何度か目撃してから、その偉い人とたまたま話をする機会があり、いつも若手の人を連れて会議に参加している理由を何の気なしに聞いてみた。すると、こんな答えが返ってきた。

仕事をやれと言われても、具体的にどうやるのか分からないことも多いし、変なやり方を覚えてもらっても困るので、出来るだけ自分の仕事のやり方を見せて学んでもらうようにしている。特に会議の場では、賛成だけではなく反対意見を持ち出す人もいるし、議論の進め方を見るだけでも勉強になるはず。短期的には時間がかかって大変だけど、いずれは自分の手助けをしてもらえるから、長期的には充分メリットがあるのさ。

なるほど、そうやって人の成長を促しつつ、かつ自分の方にもリターンが得られるように考えているのかと感心した記憶がある。そのような学びの場を与えられず、いきなり現場の作業に放り込まれてしまい、どうやって物事を進めたら良いのか皆目見当もつかない中で苦労した経験を持つ自分に取ってはなかなか羨ましい環境に思えたし、きっとそのような上司の元では優秀な部下がたくさん育つのだろうと思えた。

仕事に慣れた経験者はやり方を熟知しているものだから、当然他人も同じようなことが同じようなレベルで出来るものと思い込んでしまいがちだけど、実際のところなかなか思うようには動いてくれないものだ。やり方を説明したはずなのに意図していたものとは異なるものが出来上がってきたり、求めていたものとはまるで違う方向に進んでしまった結果を持って来られて、ガッカリした経験を持つ人は少なくないと思う。

過去の事例を示して参考にさせたり、自分のやり方を見せて真似させる等の工夫が必要だし、そのような地道な努力無しでは人は育たない。自分が簡単に出来る類いの仕事はそのやり方を教えつつ部下や他人に任せてしまい、自分の方は他の誰も出来ないようなレベルの仕事や難易度の高い課題に挑むのが、自分にとっても相手にとっても双方に利点がある仕事の進め方ではないかと思っている。