蓄積がモノをいう

私の机の脇に積み上げられた技術書の山を見ながら、会社のボスキャラが質問。

ボスキャラ:「この本を全部読んだら、技術士になれるのか?」
私:「これだけ読んだら受験願書を取り寄せても良いですけど、試験の合格には全然足りません」
ボスキャラ:「...」

言うまでもないことだが、知識の幅と深さを極めるには多くの経験と長い時間が必要だ。学生のような一夜漬けの勉強では、その場しのぎにはなっても本質的な知識は身につかない。自分の手を動かして、実際に動くモノを作ってみる等の経験を積んで、ようやく自分の知識として習得できるのだ。そもそも、本を読んだだけで事足りるのなら、誰も「英語が話せなくて困る」ことなんてあり得ないはずだ。

例えば、技術士試験も同様だろう。願書を出してから、知識の習得のために本を読んでいるようでは、その分野で長年の経験を持つ人に敵う訳がない。パケットキャプチャ一つやったこと無い人がネットワークの議論をするなんて不可能だし、大量のバグに苦しんだ経験が無い人がソフトウェアテストのあるべき姿を論じるのは無理だ。まさに日々の蓄積が問われるわけで、言ってみれば試験問題は「あなたは今までどのような経験を積んで来たのか?」という単純な問いかけに過ぎない。幅広い分野で試行錯誤を繰り返してきた人には、実は容易な試験なのかも知れない。

私の元へ毎月Amazonから届くたくさんの書籍は、決して趣味でもないし無駄遣いでもない。より良い経験をするための一手段に過ぎない。いくら多量の本を読んでも、経験が伴わなければ試験に合格できないことを銘記すべきだろう。