日本語と英語の接点

昨日の話の続き。ソフトの仕様を巡ってアメリカ人との打合せは続く。通訳を間にはさむと話がまどろっこしいので、自分の英語でさっさと話を進める。これならスイスイと話は進むし、通訳の人に遠慮せず何でも言えるのでかえって気が楽だったりする。もちろん、英語には堪能ではない上司の通訳もしなければならないし、他のメンバーが連発する怪しい英単語のフォローもしなければならない。こんな日本人の相手をする海外の人も大変だ。

しかし、いくら英語らしい単語とは言え「バブル」「パソコン」を連発しても相手には伝わらないよね。日本人が言う「バブル」とはバブル経済のことであり、これは1980年代後半に…という長い背景を順番に説明する必要がある。同様に「パソコン」とはパーソナルコンピュータの省略形であり、日本語ではこのような略語を多用する傾向があって...という文化を説明しなければならない。ロジカルな説明をすればどんな人でも納得するし理解できる。当たり前のことだ。

こんな会話の橋渡しをしていると、コミュニケーション上の障壁というのは実は言語ではなく、相手が理解しているレベルを予測できない乏しい想像力に原因があるような気がしてならない。英語の知識を習得することはもちろん大切だけど、その英語で伝えるべき内容を認識することはもっと重要だと思う。