大人の見識

暇つぶしにパラパラとAERAをめくる。長いこと惰性で読み続けているけれど、昔はもう少し硬派な記事が載っていたように思う。これも時代の流れなのか、当たり障りのない(つまり退屈な)記事が多い。韓国の某芸能人のインタビュー記事が載っていたけれど、こんな内容を求める人はそもそもAERAなんて読まないような気もする。あれもこれも話題を載せるデパートのような雑誌作りは、無限の情報を入手できるインターネット時代には不向きのような感じさえする。

そんな軟弱な紙面に活を入れるが如く、高村薫の連載記事だけは強烈な存在感を示している。毎度の事ながら、このページだけは背筋を伸ばして読まないと、姿勢が悪いと怒られてしまいそうだ。社会問題の核心をズバリと直球で突く硬派なエッセイ(と呼んで良いのでしょうか?)を読んでいると、大人の見識とは一体何なのかと考えさせられる事も多い。わずか1ページの記事ながら、雑誌の根幹を貫くような圧倒的な力を感じてしまう。正直に言いましょう。高村薫の連載を読みたいが為にAERAを買っているようなものです。

生活に伴う危険を自ら注意して避ける代わりに、あくまで危険ゼロを求める社会は、排除の論理と呼応する。不潔を排除し、障害者や高齢者や犯罪者を排除し、危険な道具を排除し、万一事故が起きれば、責任を負うべき者を見つけだす。こうして百パーセントの安全と快適を要求することが市民の権利と化した社会が失ってゆくのは、故意と不可抗力の境目を見極める理性であり、人生に起こりうる不幸を不幸として受け止める人間固有の能力である。

AERA 2008年7月7日増大号:高村 薫〜失われる生活能力