英語だけは勉強しておいた方が良い

日々、ソフトウェア開発の仕事を進めるための道具として、英語は欠かすことが出来ない。10年前と比べても、英語が必要な度合いは非常に高くなっており、これもグローバル化の流れと関係しているのだろうかと思ってしまう。職場に新しい開発者が加わった時、使ってきた開発言語や環境を尋ねるけれど、その質問の一環として英語のレベルを尋ねることも必須だったりする。英語の読み書き、さらには英会話も出来ると、作業を依頼する領域が他の人とは異なり、やや特別な扱いになるのだ。(ホントはこれでは困るのだけど)

実際のところ、少しでも凝ったソフトウェアを開発しようとすると、必然的に英語の資料や書籍を参照せざるを得ないし、ある問題点をネットで検索してもヒットする情報量は日本語よりも英語の方が圧倒的に多い。だから、ある程度のレベル以上の開発を行なっている開発者は、英語の読解が出来て当然だと思う。逆に言うと、日本語の情報だけで作れるようなソフトウェア開発というのは、(こんな言い方では語弊があるかも知れないけれど)誰にでも出来るものが多くて価格競争に巻き込まれやすく、儲からないことが多い気がする。

なお、英語習得の考え方については、下記の3つの原則に尽きると思う。要するに何も努力をしないで英語を使えるようにはならないということだ。

  • 汗をかくこと
    自分で学習の努力を続けること。何も努力しないで英語を習得できる訳がない。
  • 恥をかくこと
    何度も言い間違えや聞き間違えをして恥をかかないと、英語は身につかない。
  • 涙を流すこと
    自分の意志が正しく相手に伝わらないという悔しさを感じないと、英語のレベルアップは望めない。

英語の学習法を聞かれることも多いけれど、教材は幾らでも有るし、英会話教室もたくさん有るので学ぶ環境は充分に整っているはずだ。周囲で見聞きする限り、英語を習得できる人・出来ない人の差は、年単位での継続的な努力をしているか否かという点だけだと思う。よく言うのは「英語の辞書を読み潰したら(使い込んでボロボロになったら)英語を勉強したものと判断します」というものだ。新品のようなピカピカの辞書はすなわち「私は全然勉強していません」と公言するようなものだと思う。

なお、社会人になってから全く英語を勉強せず、国内市場のみを相手にする開発会社に勤めていた知人は、景気低迷に伴う会社の業績悪化で転職を余儀なくされたものの、転職先の開発会社では逆に海外市場がメインの相手だったので、開発資料や顧客の打合せは全て英語となり毎日大変らしい。彼は「まさか英語が仕事で必要になるなんて」とぼやいていたが、今の時代、英語を避けて生きていくことはかなり難しい状況になってしまったのだ。

いつ必要になるか分からないけれど、必要になったその時から英語の勉強を始めても遅すぎる。ソースコードの書き方同様に、語学は経験を積むほどにスキルが磨かれていくものなのだ。チームのメンバには、開発スキルのレベルアップに加えて、英語の勉強に励むように叱咤激励している。