無駄があるから面白い

古いIT関連の雑誌を処分しつつ考えた。世の中何でも効率最優先、無駄は悪だから徹底して排除、余計なものを削ぎ落とすのが当たり前、という方向に向かっているようだ。誰のせいでもないし、誰かが命令してやっている訳でもない。たぶん、時代の流れというものだろう。それはそれで悪くないことかも知れない。費用対効果とか、知識習得の時間効率なんて考え始めたら、どんな記事が載るのか事前に分からず(!)、最新ニュースが載っているわけでもない雑誌の定期購読なんて無駄の象徴と指摘されそうだ。

でも、一個人としてそんなゆとりの無い生き方は少しばかり悲しいし、味気ないものを感じてしまう。世の中、少しばかりのゆとりがあるから面白いし、無駄があるからこそ上手く回っている面があるような気がしてならない。例えば、毎日必死に働く人でも、栄養剤だけという食生活を続けていては、仮に栄養的には充分でも物足りなさを感じるのは当たり前のことだろう。日々、様々な美味しいもの(大いなる無駄を含む!)を食べる楽しみが有ってこそ人間なのだ。

仕事に必要な知識の習得も同じだと思う。仕事に直結することを学ぶのは必要不可欠はいえ、それだけでは平凡な一人として終わってしまう。他人には無い自分だけのオリジナリティを発揮できるのは、その人が持っている幅広い知識や経験(という名の無駄)ではないだろうか。プラスアルファの面白さを生みだす原動力は、実は壮大なる無駄の蓄積の中に有るような気がする。