チェックリスト信仰

開発現場で問題の再発防止策を検討すると、その結論として出てくるものの一つにチェックリストが有る。曰く、このチェックリストに従って確認を行えば、同じような問題の発生を防ぐことができるし、誰でも同じレベルで作業を行うことが出来る。チェックリストは素晴らしい、是非ともチェックリストを作るべきだ、チェックリストに従わないのはけしからん等々。

確かにその指摘は正しくで、実施すべき有力な対策の一つではある。優秀な開発者が自分の作業を終えて、万が一のミスが無いか確認する程度の使い方なら充分に有効だと思う。しかし、チェックリストの有効性を信じて疑わない人の姿を見ると、ちょっと待って欲しいと言いたくなってしまう。現場の人なら既に知っているように、チェックリストは同時に問題も多い存在だ。例えば、開発現場でこんな状態を見かけることは少なくないだろう。

  • 確認作業の形骸化
    「チェックリストで確認する目的は?」と聞かれた担当者が「規則で決まっているからです」と答えたら、それは立派に形骸化している証拠だと思う。担当者は本当にチェックリストの意義を理解しているのだろうか?
  • リストの項目さえ確認すれば良いという思考停止
    リストを作った人が「この程度はやっておくべき」という認識で作ったものの、それで充分だという保証は何処にも無い。リストの項目を確認しつつ、不足している項目は無いのか、修正が必要なものは無いのか常に考える必要があるはずだ。
  • 環境の変化に追従できない内容
    チェックリストが作られた時から開発環境もシステムバージョンも変わっているのに内容が更新されず、「古い項目があるので気をつけて」等という文句と共に引き継がれていることがある。こんなチェックリストを使い続けて良いのか疑問に思わない時点で、既に問題ありと思う。
  • 確認漏れやミスの発生
    幾ら詳細なリストが存在しても、それに従うのは生身の人間なのだ。だからリストで確認さえすれば100%OKと信じるのは危険だし、少し位の問題が残っている可能性が有るとリスクを見込むことが必要かも知れない。

チェックリストの記載内容は生き物だと思う。絶えずメンテナンスを続ける必要があるし、その存在意義や歴史的背景を充分に理解した上で使いこなす必要があるはずだ。だから、チームのメンバには「チェックリストを疑え」と言うことがある。自らの経験を元に、チェックリスト自身の問題箇所を指摘できるようになって初めて、作業担当者のスキルは一人前になるのではないかとも思っている。