人生の残り時間を考えてしまう

会社からの帰り道、以前に会社を辞めた人とバッタリ出会った。やぁ元気ですかなどと挨拶をしつつ、互いに近況などを伝え合う。それほど長い時間が経ったわけでもないのに、双方とも周囲の状況が大きく変わってきているので話すネタが多い。

彼の場合、管理職とは言え会社都合の人員整理(つまりリストラだ)で首を切られた立場なので、会社に対する思いは複雑なモノがあるはずだが、もうその辺のことは吹っ切れたらしい。サラリーマンだから仕方ないし、いつまでも拘っていては前に進めないのだろう。この厳しい雇用情勢の中、再就職先を探すのは大変なはずだが、顔つきは明るくなんだか妙に楽しそうだ。その点について尋ねてみたら、こんな答えが返ってきた。

俺はもう45歳になる。これからどの位働けるのか考えてみたら、もう20年も無いことに気がついた。労働者としては既に折り返し地点を過ぎているんだよ。こんな事を意識してしまうと、残りの人生を有意義に使いたいと思うし、もっと面白い仕事で人生を充実させたいと考えるようになった。会社での仕事は楽しかったけれど、これはもう充分。これからは新しいことにチャレンジして行きたいね。

彼の年齢に達するにはまだ数年あるものの、私も似たような立場なので、このようなコメントには深い共感を覚えた。若い頃には考えもしなかったことだけど、人生の持ち時間は限られているし、その残りは日々減っていくのだ。減りゆく時間の中で、自分に何が出来るのだろうと暗澹たる気持ちになってしまうこともある。だから、彼の考えることには大いに同意できるし、私の気持ちを代弁してくれたようなものだ。その旨を伝えたら「やっぱりそうだよな」という答えが返ってきた。

お金が足りなければ借金して調達することは可能だけど、時間が足りなくても他から持ってくることは出来ない。こう考えると、時間を無駄に使うことはものすごく勿体ないことだと思えてくるし、少しばかりのお金でカタが付くのなら、それで手っ取り早く済ませたいと考えるようになってくる。自分の大切な時間なのだから、些末なことにまでその時間を費やすのはあまりに惜しいことなのだ。

彼とはまた連絡することを約束して別れた。たぶん、彼なりに面白い人生の方向を探し出して進んでゆくのだろう。私もそれに習って、そろそろ新しい道を探るべきなのかも知れない。ちなみに私の考える理想の人生は、死ぬ時になって「なんと楽しい人生だったのだろう」と満足感に浸れるような生き方だ。墓場まで後悔を背負っていくような生き方だけは避けたいと願っている。