現場主義

長年にわたって経験を積んでくると段々と予測能力が出てくるのか、横着になるのか、物事を表面だけで理解しがちになる。例えば、こんな感じ。

  • 新しいソフトウェアの機能について「○×みたいなものでしょう?」
  • 新しいウェブサービスについて「使い物にならないでしょう?」
  • 新しいデバイスについて「マニアが使うものでしょう?」
  • 新しい手法について「△▼と同じでしょう?」

実物に触れることなく独断的な評価を下すような発言を聞いていると、その判断の素早さには感心する反面、なるほど頭の硬化現象はこんなところから生じてくるのかと納得してしまいそうになる。自分の経験に結びつけて考えるのは悪くはないが、それは実物に触れた後で行うべきなのだ。実物には指一本触れずに独りよがりな判断を続けていると、新しいものへの感受性が鈍っていき、何に対しても常に否定的評価しか出来ず、やがて自分からは新しいものを作れなくなってしまう気がする。

たとえ、それが本当に使い物にならなくても、大きな流行にならなくても、そこには「新しい何か」が存在するのだ。その可能性を見つけ出し、次の発展へ結びつけるためには、自分の手で実際に試して評価を行うことが必要ではないかと思う。物作りやサービス開発など、何か新しいものを生み出す事を仕事にしている場合、そのような感性は特に大切ではないだろうか。自分が生み出す成果の質をさらに向上させるため、未知なるものへの感性を磨き、意識的に新しいものへチャレンジすることが必要なのだ。無から形あるものは生まれない。優れたものを作り出すためには、自分の手を動かして、自らの好奇心を刺激してやる必要がある。現場でしか得られない知識こそが、自分の想像力の糧になるのだから。