直接的なリターンを求め過ぎるのでは?

仕事には直接関係しない技術書を読んでいたり、資格試験などの試験勉強をやっていると、一体何のためにそんな勉強をしているのか?と聞かれることがある。端から見ると、役にも立たないことに手間暇をかけており、かなり奇妙な光景に映るらしい。もちろん試験なら合格したいし、新しい技術ならマスターしたいしという短期的な目標はあるけれど、試験に合格したり新しい知識を得た結果として、収入が増えるのと言うとそんな事は全然無い。それどころか受験費用すら回収できず、収支としては赤字続きだったりする。

それでは何故勉強を続けるのか?この質問への回答としては、リーナス・トーバルズではないけれど、それが僕には楽しかったからと答えるしかない。自分が知らなかった知見を得ることで知識欲が満たされ、満足感を得ることが一つの原動力になっているとしか思えないのだ。そんな考えだから損得勘定を考えずに本を買い漁ったり、自腹で高価なセミナーへ参加することに何ら罪悪感を覚えないのだろう。人間を前に推し進めるために必要な力というものは、実はお金のような即物的なものではなく、個人の気持ちに秘められた内なる欲望なのかもしれない。もちろん、長い人生でいつか思わぬところでその知識が役立つことがあるかも知れない。しかし、それは将来の話。当たれば嬉しい宝くじみたいなものだ。

成果主義(ウチの会社でも採用済みだ)が導入されてから、仕事の結果も人事査定も目に見える形での近視眼的な評価しか出来ない状況になっているが、そんな環境の中にどっぷりはまっていると、目には見えない形の向学心とか長期的展望に基づく継続的努力というものがますます見過ごされる状況になってきたと感じる。直接的な利益をもたらす事が出来ないのなら無駄なのか?短期的な見返りが無いのなら実行する価値が無いのか?未来に向けて種をまいておくことを軽視して良いのか?こんな時代だからこそ、今一度問いかけてみる必要があるだろう。