その仕様書、ワカリマセン

昨日のエントリソフトウェア開発現場の七不思議の続き。

1. ソフトを作れない人が仕様書を書いている。

自分でソフトを作れる人が書く仕様書には、「記載すべき項目」が簡潔に書かれているし、「記載が不要な項目」は書かれていない。たぶん、自分がソフトを作る時の状況を思い浮かべながら、書く内容を吟味しているのではないかと思う。もちろん、完璧な仕様書なるものは存在しないので問合せを行う事はあるけれど、特に本質的な問題ではないことが多い。

これに対して、自分でソフトを作れない人が書く仕様書には、肝心なことが書かれていないし、余計なばかり書かれている。また、実現できないことを平気で書いているし、各仕様間の矛盾が残っていることも珍しくない。背景知識を持つ開発担当者ならもっとクールなアイデアを逆提案出来たりする。仕様書以前に日本語としての文章が成り立っていないこともあるし、日本人が読んでも意味が分からなかったりする。肝心な情報が足りない上に、問い合わせの手間がかかって仕方がない。こんな役に立たない資料を仕様書と言うのはかなり図々しいことだ。

基本的な疑問なのだが、ソフトを作れない人が書く仕様書は、本当に仕様書としての役目を果たすのだろうか?思いのままに要望を書き連ねた作文にしか思えない時があるのだけど、本人はエンジニアのつもりで必死に書いているのだろうか?確かに仕様書作成の名手はいるけれど、平均として見るとソフトを作る人が書く資料の方が分かりやすいように感じる。自然言語で書かれる限り、内容に曖昧性が残るのは仕方ないとは言え、その差はあまりに大きすぎる。VDMのような形式手法を導入して、誰が書いても同じ内容になる仕様書を目指すべきなのかも知れない。