仕様の表現力で発注者の力量が分かってしまう

「この位の仕様で上手く作っておいて」とひと言伝えておけば、望み通りのシステム一式が出来上がって来ると嬉しい。これなら細かい点まであれこれと指示する必要も無く手間が省けるし、期待通りのモノが期待通りの納期、品質で出来上がってくれば万々歳だ。

しかしながら、世の中、そんな「あうんの呼吸」が通じる関係というものはなかなか無い。明文化できないノウハウは暗黙知として開発者の頭の中に入ったままなので、頼れる人がいなくなってしまうと、誰も作業を代行できない。長年に渡って作業を担当してくれていたベテラン開発者も「寄る年波には勝てず体調を崩して休み」が続くと、途端に問題が噴出してしまう。

だからこそ、設計資料は必須だ。組織として開発をすすめる以上、人が入れ替わっても作業を継続出来るように設計情報の伝授は不可欠なのだ。何を何処まで作成するのか開発スコープを定め、設計の意図や方針検討時の代替案などソースコードには表現できない情報を記載し、その内容に関してステークホルダー間の合意を得ることは、リスク満載な開発における重要な保険とも言える。

異なる文化背景、言葉を持つ人たちが関わるプロジェクトでは、仕様書を通じて認識合わせを行いチームの意思統一を図る訳だが、幸か不幸か日本国内の場合、そんな多様性とは無縁の環境で働く文化が続いてしまったので、あうんの呼吸でなし崩し的に進める進め方が根づいてしまった。仕様で明文化されている事実よりも、仕様の行間を読む能力が重宝がられるのは、そんな文化の象徴の一つかも知れない。

グローバル化と言うと、英語を話せるようになるとか、海外市場へ進出するとか、何か別次元の取り組みを考えてしまうけど、実は全然そんなことはなくて、まずは自分達の要求を他者に分からせる為の表現力が第一に必要では無いだろうか。英語はその要求を異なる形式に変換する為のツールに過ぎないし、海外市場はその適用先の一つに過ぎないはずだ。幾ら英語を話せるようになっても、肝心の中身が乏しいのならコミュニケーションは成立しないのだ。

そんな事をつらつらと考えていたら、他の業界でも同様な問題が有るとのニュースを見かけた。自分が必要とするものを言葉で定義出来ず、責任を外部に丸投げしてしまうのは、実はIT業界に限った話ではないらしい。

この条文を正確に英語に訳して本国に伝えたところ、「無限の責任を要求されているので、これでは見積り金額を算出できない」「この鉄道会社は自社の技術的要求を数字や文章で表現する能力を持っていない。鉄道先進国である日本にこんなレベルの低い鉄道会社があるとは信じられない」といった返答があった。

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