改善活動という幻想
開発現場では様々な方面から難題を持ち込まれてくるけど、ツールの導入で済んだり書籍の紹介程度のものがある反面、中には「自分ではやり方も知らない(しやる気も無いから)任せたい」という丸投げの案件もある。開発現場のカイゼンを進めて欲しいなんて言う要望は、その筆頭ではないだろうか。
現場で作業をしている人を放っておいて改善が進むわけ無いし、言い出したリーダが「自分の仕事で忙しいから後は頼む」といった傍観的な立場では、物事は何も変わらないだろう。自らも改善の為に汗を流しますという決意のあるチームなら話は別だけど、大抵の場合は「日々の仕事で忙しい担当者」と「それを何とかしたい(と思いつつも自分の手は汚さずに指示だけ出して満足している)リーダ」の組み合わせだから、物事は変わるわけが無い。
末端の担当者はもちろんのこと、同じチームで業務に関わるリーダまで全員を巻き込んだ形での活動が不可欠だし、それは業務と密接に関わる形であるはずだ。仕事は仕事、改善は改善と切り離すのは不可能だし、そんな切り離した形での活動が有意義な成果を生み出せるわけがない。改善は仕事の中でこそ実施すべきことなのだ。
そんな事は充分に分かっているはずなのに、病気の患者に薬を与えるかのごとく、改善という薬を与えておけば何とか立て直せるはずと信じこんでいる人が多いことには改めて驚かされる。コンサルを幾人も呼ぼうが、改善委員会を何度も設けようが、他人任せでは物事は何も変わらない。改善活動に必要なのは当事者の熱意と情熱だし、それを支えるリーダの決意だと思う。
「改善が仕事ではない」という認識が組織内にあると,ほとんどの業務改善はうまくいかないことです。ひどい場合は,「あいつ,仕事しないでサボっている」とさえ言われます。仕事をしていないように見られると,改善はきちんと評価される仕事ではないという風潮を生むので,自ら手を挙げる自発性を損ねる大きな要因となります。
第7回 御社のトップは腹をくくっていますか?―改善活動は部活ではない:無関心な現場で始める業務改善|gihyo.jp … 技術評論社